4月5日 イースター礼拝 メッセージ
ヨハネによる福音書11章23-27節 「復活であり命である」
イースターの朝に、みんなで一緒に礼拝をささげることができますことを、とても嬉しく思います。今日は、いつもの礼拝とは少しちがう様子があります。前には、この教会でいっしょに歩んできて、今神さまの元におられる方々の写真が並んでいます。その一人ひとりに、いろいろな思い出があることでしょう。「死ぬ」ということは、私たちにとってとても大きくて、悲しくて、言葉にするのがむずかしいことです。教会にあまり来たことがない人にとっては、「イースター」や「復活」という言葉も、少しむずかしく感じるかもしれません。
でも聖書は、その悲しみの中で、「わたしは復活であり、命である。」と語っています。これは、大切な人をなくして、悲しんでいた人に、イエス様が語られた言葉です。ですからこの言葉は、強い人だけに向けられたものではありません。悲しい人、どうしてよいかわからない人に向けて語られている言葉なのです。今日、私たちはその言葉を、ここでいっしょに聞こうとしています。そしてこの言葉は、ただその時だけの言葉ではなく、今日ここにいる私たち一人ひとりにも語られている言葉です。イエス様は今も、「あなたの命は終わりではない」「あなたと共にいる」と語りかけておられます。
さらに今日は、新しい年度のはじまりの礼拝でもあります。教会で働く人や、保育園の職員の祝福の時もあります。新しいスタートに、ドキドキされている人もいるでしょう。楽しみな気持ちと、不安な気持ち、どちらもあると思います。これから一年、それぞれの場所で役割を担っていかれる方々に、神様は「わたしが共にいる」と約束してくださいます。自分の力だけでがんばるのではなく、神様に支えられて歩む一年が始まります。
大切な人とのお別れも、新しいはじまりも、今日の礼拝の中で、一つに繋がっています。なぜなら聖書は、命は終わりではなく、神様の中で生き続けること、そして新しい歩みも、神様がいっしょにいてくださることを教えているからです。今日は、それぞれの気持ちのままで、神様の言葉を聞いてくださればと思っています。
今日の御言葉は、「わたしは復活であり、命である。」です。この言葉が語られたとき、そこには深い悲しみがありました。その時イエス様は、「元気を出して」と軽く言われたのではありません。「そのうち忘れますよ」とも言われませんでした。イエス様ご自身も、その場でいっしょに悲しみ、涙を流されました。イエス様は、悲しんでいる人のそばに立ってくださる方なのです。でも、それだけでは終わりませんでした。イエス様は「わたしは復活であり、命である。」と言われました。それは、「どんなに悲しい中にあっても、命は終わらない」という約束であり、「神様が新しい命を与えてくださる」という力強い言葉です。「復活」というのは、終わったと思ったものが、神様によってもう一度新しくされる、ということです。
人はみんな、いつかは死をむかえます。それはさけることができません。でも聖書は、そのあとも命は続くと教えています。神様のところで、生きているということです。そしてイエス様は、そのことを話しただけでなく、ご自分でそれを見せてくださいました。十字架で亡くなり、三日目によみがえられた。それがイースターです。弟子たちは最初、「そんなことあるはずがない」と思いました。でも本当にイエス様と会ったとき、弟子たちは、「死は終わりじゃなかった」「神様は命を新しくしてくださるんだ」とわかりました。だからこそ私たちも、このイースターの朝、「命には続きがある」という希望を持つことができるのです。
しかし、今の私たちにそれを理解しろと言われてもすぐに理解できるでしょうか。うーん難しいと思う人の方が多い事でしょう。そこで、少し身近なことから「わたしは復活であり、命である。」を知ってもらえればと思います。
この教会の玄関に咲いているチューリップを見られましたか。池田さんから球根をもらい、保育園の昨年度のチューリップ組が土に植えました。球根は土の中でじっとしています。子どもたちは毎日お世話をしていますが、しばらく外からは何も見えません。でも3月になると、芽が出てきました。先々週あたりから花がさきました。子どもたちは「生きていたんだ」と感じます。復活も、これに少し似ています。見えなくなっても、終わりではない。神様が命を大切に守っておられるのです。
もう一つあります。それは「私たちはやり直せること」です。友だちとけんかして、「もうだめかな」と思っても、「ごめんなさい」と言って、「いいよ」と言ってもらえたら、またいっしょにいることができます。止まってしまったものが、もう一度動き出すようです。これも、小さな復活です。
イエス様は、「死んだあと」のことだけでなく、今の私たちにも大切なことを教えてくださっています。それは「どんなときも、神様は新しくしてくださる」「終わりだと思うところから、もう一度はじめてくださる」ということです。ですから私たちは、悲しいとき、失敗したとき、どうしたらいいかわからないとき、「イエス様、いっしょにいてください」と思うだけでよいのです。
今日、私たちは大切な方々を思い出しています。その命は見えなくなりました。でも神様の中で生きています。イエス様の復活が、そのことを教えてくれます。そして私たちは、新しい歩みへと送り出されます。教会の働きを担う方々も、保育園の職員も、そして新しい学年で歩み出す子どもたちも、それぞれの場所で、新しい一歩を踏み出していきます。神様は、その一人ひとりに「あなたと共にいる」と言ってくださいます。
これからの日々、うまくいかないこともあるでしょう。でもどんなときも、イエス様は「わたしは復活であり、命である。」と言われます。この言葉は、「何度でもやり直せる」「あなたの歩みは守られている」という約束でもあります。終わりのように見えるところにも、新しい始まりをくださる方が、一緒におられます。だから私たちは、希望をもって歩き出すことができるのです。

