4月12日 主日礼拝 メッセージ

ローマの信徒への手紙10章17節  「聞くことから」

 本日、礼拝後には教会総会の時を迎え、共に歩みを振り返り、そして新しい一年へと心を合わせて進もうとしております。私たちの教会はこれまで、それぞれの歩みの中で、神様に支えられ、守られてきました。一人ひとりの信仰の歩みがあり、また教会としての歩みがありました。そのすべての中に、確かに神様の導きがあったことを、改めて覚えたいと思います。

 そして、これからの一年をどのような歩みとしていくのか。教会として何を大切にし、どこから出発していくのか。そのことを祈りのうちに考える中で、今年の年間聖句に「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」を掲げたいと願っています。

 この御言葉は、私たちの信仰の出発点を、とてもはっきりと示しています。信仰は、何か特別な努力や強い意志から始まるのではなく、「聞くこと」から始まるのだと語られているのです。私たちはしばしば、「もっとできるようにならなければ」「もっとしっかり信じなければ」と、自分の内側に力を求めがちです。しかし聖書はまず、「聞きなさい」と語ります。神様の言葉を聞くところから、すべてが始まるのだと教えているのです。

 昨年、私たちの教会では夕礼拝を少しずつ行ってまいりました。その小さな歩みの中で、改めて気づかされたことがあります。それは、御言葉を静かに聴く時間が与えられるとき、私たちの心が整えられ、神様とのつながりが確かに深められていくということです。

だからこそ今年は、この「聞く」という歩みを、教会全体でさらに大切にしていきたいと願っています。御言葉を聴く機会を増やし、御言葉に耳を傾ける時をより豊かにしていきたいのです。

 それは単に集会の回数を増やすということではありません。御言葉を聞く機会が増えるということは、神様と出会う機会が増えるということです。そしてその出会いの中で、私たちの信仰は養われ、支えられ、新しくされていきます。何かをする前に、まず聞く。計画を立てる前に、まず神様の言葉に耳を傾ける。そのような歩みを、共に大切にしていきたいのです。

 私たちはつい先週、主イエス・キリストの十字架と復活を覚えました。十字架において、主は私たちの罪を担い、復活によって新しい命を開いてくださいました。この出来事は、ただ過去に起こった出来事ではなく、今も私たちに語りかけている「神様の言葉」です。つまり、「キリストの言葉を聞く」とは、この十字架と復活の出来事を、今の自分に向けられた言葉として受け取ることでもあるのです。

 十字架は、「あなたは赦されている」という神様の語りかけです。復活は、「あなたは新しく生きることができる」という神様の語りかけです。この語りかけを聞くとき、私たちの内に信仰が起こされていきます。

 では改めて、「聞く」とはどういうことなのでしょうか。それは、ただ理解することでも、知識として覚えることでもありません。自分に向けられた言葉として受け取ることです。同じ御言葉を何度も聞いているのに、ある時ふと、「これは今の自分に語られている」と感じる瞬間があります。そのとき、御言葉はただの文章ではなく、生きた言葉として心に届きます。

 十字架の言葉もそうです。「父よ、彼らをお赦しください」という祈りは、遠い誰かのためではなく、今の私のために語られているのだと聞くとき、私たちの心は深く動かされます。復活の「恐れることはない」という言葉もまた、不安や迷いの中にいる私たち一人ひとりに向けられています。このように、「聞く」とは、御言葉と自分との距離がなくなることだと言えるかもしれません。

 では、普段から礼拝に集っている私たちは、どのように御言葉を聞いていったらよいのでしょうか。

 一つは、「初めて聞くように聞く」ということです。私たちは同じ箇所を何度も聞く中で、「知っている言葉」として受け止めてしまうことがあります。しかし御言葉は、毎回新しく語りかけてくるものです。昨日とは違う今日の私に、神様は新しく語ってくださいます。そのことを信じて、心を開いて聞くことが大切です。

 もう一つは、「自分のために語られている言葉として聞く」ということです。説教を聞くときに、「あの人に聞かせてあげたい」と思うことがあるかもしれません。しかしまずは、「これは私に語られている」と受け止めることが大切です。そのとき御言葉は、私たちの内に働き始めます。

さらに、「応答しながら聞く」ということも大切です。御言葉は一方的に聞いて終わるものではなく、「主よ、その通りです」「どうか私を導いてください」と心の中で応えながら聞くとき、より深く私たちの内に根づいていきます。

 このような聞き方が教会全体に広がっていくとき、教会は大きく変えられていきます。御言葉を聞くことが中心となる教会は、静かながらも確かな力を持つようになります。人の思いや計画に頼るのではなく、神様の導きに耳を傾ける群れへと変えられていきます。

 また、互いに対するまなざしも変わっていきます。御言葉によって自分自身が支えられていることを知るとき、他の人に対しても寛容さや優しさが生まれてきます。十字架によって赦された者として、互いを受け入れ合う教会へと導かれていきます。

 そして復活の希望に生かされる教会は、どのような状況の中でも希望を語ることができるようになります。このような教会は、自然と外へと開かれていきます。普段礼拝に来ることが難しい方々にも、この御言葉をどのように届けていくか。これは今年の私たちにとって大切な課題です。

 夕礼拝を増やすことも、その一つの具体的な歩みです。時間の選択肢が増えることで、「今まで来られなかったけれど、この時間なら来られる」という方が与えられるかもしれません。また、すぐに礼拝に来ることが難しい方であっても、短い聖書の言葉や祈りを分かち合う機会、小さな集まり、あるいは日常の会話の中で御言葉に触れる機会を持つことも考えられます。

 大切なのは、「教会に来てもらう」ことだけを目的とすることから、「御言葉を聞く機会を届ける」という視点です。キリストの言葉は、すべての人に必要とされているからです。

 そして、子どもたちに対しても同じです。イースターの出来事を子どもたちは、その意味をすべて理解できなくても、「イエス様はわたしのために」「イエス様は生きておられる」ということを、まっすぐに受け取ることができます。だからこそ、繰り返し、やさしく、具体的に御言葉を伝えていくことが大切です。礼拝の中で、保育の中で、日々の関わりの中で、神様の愛と赦しと希望を語り続けていく。その積み重ねが、子どもたちの心に深く根を張っていきます。

「聞く」という歩みは、目に見える大きな変化ではないかもしれません。しかし、十字架と復活の出来事がそうであったように、静かでありながら、確かに世界を変えていく力を持っています。

 私たちは何かを成し遂げることによって信仰を深めるのではなく、まず神様の言葉を聞くことから始めます。そのとき、神様の側から私たちに働きかけてくださり、私たちの内に信仰を起こしてくださいます。だからこそ、この一年の歩みを、御言葉を聞くことから始めていきましょう。そしてその恵みを、教会の内にとどめるのではなく、まだ聞いたことのない方々へと届けていく。そのために、どのような形がよいのかを祈りながら考え、少しずつでも歩み出していきたいのです。

 御言葉は、今も生きて働いています。その言葉を聞くとき、私たちは決して一人ではなく、神様とつながる者とされていきます。「信仰は聞くことによる。」この御言葉に導かれながら、この一年、共に歩み出してまいりましょう。