1月4日 主日礼拝 メッセージ
マルコによる福音書 1章14-15節 「第一声」
2026年最初の礼拝をこうして献げられますことを嬉しく思います。今年は、こうありたい、ああなりたいと考えられたことかもしれません。私は、牧師としては「悔い改めの祈りを献げることによって、色々と整えていく」を第一声としたいなと思いました。
イエス様は救い主としての第一声が、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」でした。このイエス様の救い主としての第一声は、単にこの時語られた言葉であるという以上に、これから始まるイエス様の救い主としての歩みのすべてを総括している言葉であると言って良いでしょう。イエス様がお語りになったこと、イエス様が為された業、そしてイエス様の存在そのものが、この第一声に告げられた事柄を示している言葉であると思います。ですから、毎週の説教もまた、このイエス様が最初に告げられた言葉、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」を語り直したものなのです。更に言えば、キリストの教会は二千年以上の間ずっとこのイエス様の言葉を語り直し、語り続けてきたのです。
そして、教会が為している全ての業は、このイエス様の第一声に根拠を持ち、この第一声に告げられたことを指し示すことでしかないのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」ここに私たちが聞くべきこと、伝えていくべきことの全てがあるからです。まず「時は満ちた」とイエス様は告げられました。ここで告げられております「時」は、満ちていくのです。ある決定的な出来事に向かって進んでいく時間です。
この「時は満ちた」というイエス様の御言葉から、私は、「今も時は満ち続けている」「神様の救いの御計画は前進している」、そのようなメッセージを受け取ります。この神様の救いの御計画というものには、私の人生という小さな計画から、全世界の救済という大きな計画まで、いろいろあると思います。神様の小さな御計画、その一つ一つが成就していく中で、最終的な御計画、神様の救いの完成に近づいているのです。そしてまさに今、時は満ち続けているのです。
私が神様に用いられる小さな計画では、生まれた時から教会に行っていましたが、洗礼を受けるまで18年かかりました。その期間が無駄だったかといえばそうではないでしょう。教会学校に通ったり、父親が牧師になったり、死んだりしたことは、神様のご計画の時が満ちるための期間であり出来事だったのでしょう。その後、牧師になるまでもさらに22年かかりましたが、それも神様のご計画の時が満ちるための期間であり出来事だったのです。さらにこの後、神様のご計画の時が満ちるために神様にどのように用いられるのかは分かりませんが、決して無駄ではなく必要な時と出来事を与えられるのでしょう。
それらは、皆さんにもあることでしょうし、多くの人が神様に用いられ、繋いできて2026年目を迎えたのです。そして、これからもそれぞれが神様に用いられ、神の国の完成へと近づいていくのでしょう。
その神の国というのは、神様の御支配ということです。イエス様が来られましたから、キリストがおられる所では、神様の御心が天に成るごとく地にも成ったのです。神の国は来たのです。しかし、まだ完成はされていません。近づいたとは、そういうことです。神の国は向こうから来るのであって、私たちが頑張って神の国に至ろう、近づいていこうというのではないのです。私は、この「神の国は近づいた」ということのイメージとして、駅のホームを考えます。新幹線は、もうプラットホームに入ってきているのです。まだ止まってドアが開くまでにはなっていないけれど、もう列車が入って来ていますから、私たちは荷物を持って乗り込む準備をします。家族が駅弁や飲み物の買い物をしていたら、「早くしないと乗り遅れるよ」と言うでしょう。それが伝道です。
どうして、もう列車が来ている、神の国が来ていると分かるのか。それは、私たちが既にイエス様の救いに与っているからです。神の国に生き始めているからです。だから、来るか来ないか分からないけれど神の国を待っているというのではなく、もう来ているのですから、あなたも早く準備をしなさいと言うわけです。私たちはイエス様の救いに与り、神の国に生き始めています。だから、天と地を造られた神様に向かって、「父よ」と呼んで祈ることが出来るのです。困り果ててしまうような状況の中でも祈ることが出来、神様のお守りを信じることが出来るのです。
この神の国に入るためには、悔い改めて福音を信じなければなりません。「悔い改める」とは、自分を愛してくださっていることを知り、神様に感謝をささげ、御名を崇め、神様と共に生きよう、神様に従って歩んでいこうと変えられることです。悔い改めは、反省ではないのです。反省は、自分で自分の間違いに気付き、変わろうとすることです。そこには、本当は悪くない、正しい自分というのがいて、たまたまここだけが悪かったというようなことでしかありません。しかし、「悔い改め」というのは、その反省している自分が変わらないと駄目だということなのです。私たちは良いとか悪いとか自分で判断しています。けれども、「悔い改める」事により、自分の判断や自分の基準そのものが変わるのです。これは、新しく生まれ変わると言っても良い、根本的な変化です。
そのような根本的な変化が、どうして起きるのか。それは、福音と出会い、福音を信じることによって起きるのです。「福音」とは「良い知らせ」です。イエス様によってもたらされた良い知らせです。この福音を信じるということは、イエス様というお方と出会わなければなりません。もちろん、肉眼で見るというあり方で出会うことは出来ません。私たちは、聖霊なる神様のお働きの中で、聖書を通して、説教を通して、イエス様の言葉を聞き、私に語りかけるお方としてイエス様と出会うことが出来るのです。そして、本気で変えたいのならば、神様をしっかり見て、自分で悪いと思っている事を神様の前に出すことです。自分の中に溜まった良くないものを神様の前に出して、自分の中を空っぽにすることです。神様の前に出すとは、そのことを神様は変えてくれると信じて祈り続ける事です。それが、「悔い改め」です。自分の中が空っぽになり、神様を見ていると、どんどん自分の中に福音が入ってきます。
「時は満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。
イエス様が第一声で言われたこの言葉を受け入れ、新たにされて、新たな2026年を歩んでいきましょう。

